もうどの方角に走ったか分からない。半泣きで息も絶え絶えに足を止め，よろよろと町家の壁に手を付いた。

 

 

『もうヤダ……。しんどい……。』

 

 

喉もカラカラ。これ以上走れない。

そんな疲れきった三津の背後にゆらりと立つ影。

 

 

｢おい。｣ themansky.pixnet.net

 

 

｢ひぃっ！嫌やっ！孕みたくないっ！！｣

 

 

ぽんと肩を叩かれた三津は頭を抱えてその場にしゃがみ込んだ。

 

 

｢は？落ち着け俺だ。｣

 

 

｢へ？この声……。｣

 

 

その声は高杉のものでは無く，首から上だけで振り向いた。

 

 

｢斎藤さん？｣

 

 

｢孕みたくないとか穏やかじゃない言葉が聞こえた気がしたが……。

誰かに追われてるのか？｣

 

 

三津の側にしゃがんで背中を撫でながら心配そうにその顔を覗き込んだ。

 

 

誰に追われてるのかは言えない。三津はただ激しく頷いた。

 

 

｢相変わらず厄介事に巻き込まれる奴だな……。お前一人か？｣

 

 

｢はい……。散歩したくて……出て来たんですけど……。

あの……斎藤さんは何故ここに……。｣

 

 

この状況は非常にまずい。どこに来たかも分からないのに斎藤と二人きり。

 

 

｢心配するな。今日も非番だ。

呑みに行こうと思って歩いてたら見覚えのある奴が駆けずり回ってるから来てみたまでだ。｣

 

 

捕まえたりしないから安心しろと今度は頭を撫でた。

それを素直に信じた三津はふにゃっと笑って斎藤を見上げた。

 

 

『相変わらず警戒心のない奴だな……。』

 

 

｢一人で外出して良かったのか？｣

 

 

その問いにはへへっと笑って頬を掻いた。

 

 

｢黙って出て来て迷子とは。｣

 

 

｢非常にまずいです。斎藤さんと一緒なのも分かればよりまずいです。｣

 

 

｢だろうな。

そうだな……鴨川まで出れば屋敷まで戻れるか？｣

 

 

｢え？送ってくれるんですか？｣

 

 

驚いて口を半開きにしたままで見上げてくる三津にこくりと頷いた。

 

 

｢さっきも言った。今日は非番だ。それに俺はお前を屯所に連れ戻す気はない。｣

 

 

桂にはこの前の借りがある。それに屯所に連れ帰って土方の側に置きたくない。

 

 

｢ふふ……優しいなぁ……。｣

 

 

そう笑う三津の笑顔が不自然で斎藤は黙ってその顔を凝視した。

 

 

｢あそこを飛び出したのには理由があるだろうが……。もし辛いなら俺の所に来るか？｣

 

 

｢え？｣

 

 

｢お前一人ぐらい匿って養ってやれるぞ。｣あまりにも突然の申し出に三津はぽかんとするしかない。

 

 

｢屯所は……副長が居るから連れ帰りたくない。お前の為の家を用意する。そこで暮せばいい。｣

 

 

｢だって……。私……。｣

 

 

貴方達を裏切ったのに。

 

 

｢俺からすればお前が忽然と姿を消した理由や経緯はもう問題ではない。

これを言うとまた混乱させてしまうかもしれんが……俺はお前の旦那になりたいと本気で思った。｣

 

 

口を半開きにしたまんまの間抜けな顔に真面目に告げた。

意を決した告白に真顔ではあるが耳まで赤く染まった。

 

 

｢斎藤さん……私の事好きなんですか？｣

 

 

｢そうだ……。｣

 

 

改めて聞かないで欲しい。顔を見合わせたまま沈黙が流れる。少しずつ状況を理解した三津も耳まで赤くなった。

 

 

｢今日はちゃんと送る。だがもしあっちが窮屈で居辛いのなら……考えてくれ。俺を旦那にすることを。｣

 

 

そう言うと斎藤は立ち上がって背を向けた。そしてついて来いと歩き始めた。

 

 

｢あ！はいっ！｣

 

 

三津は斎藤の少し後ろを黙ってついて歩いた。

 

 

｢斎藤さん何で私なんかを好きなんですか？｣

 

 

｢さぁな。気付いたらお前が居ないと落ち着かない。旦那様と呼んでほしくなってた。

お前が甘えに来るのが……嬉しかった。｣

 

 

ぶっきらぼうな淡々とした言い方だがちゃんと答えが返って来た。

 

 

そんな風に思ってくれていたのに裏切ったのか。

斎藤が前を歩いてくれていて良かった。今の複雑な表情は見せられない。

 

 

｢だがお前は桂を選んだ。それはお前が決めた事。桂が良かった理由があるんだろ。それをとやかく言うほど落ちぶれてない。だから俺らの前から姿を消した事を気に病む必要はない。｣

 

 

『ホンマに……どこまで優しいんよ……。』

 

 

｢斎藤さんって心の内が読めるんですか？｣

 

 

｢お前の心の内が読めてたら今頃もう妻に出来てるだろうよ。｣

 

 

ふっと鼻で笑われた。背中越しに斎藤の表情が見えた気がした。

 

 

｢斎藤さんもこうやって私連れてるのバレたらまずくないですか？｣

 

 

｢そうだな。だが休みの日に俺がどこで何してようが俺の勝手だ。｣

 

 

だから気にするな。斎藤の優しさが手に取るように分かる。

 

 

この優しさに本当に甘えてたんだなと改めて思う。慣れてしまった心地良い優しさが嬉しくもあり，複雑でもある。