（あの笑い声は本当に気が触れたように聞こえたが、元々狂ってたような奴だ。焼け跡を確かめておく必要があるだろうな。）

　などとハンベエが考えている所へやって来た者がいる。ヒューゴであった。馬車は何処かへ行っているらしく、一人歩いて来ていた。

「片付けたようだな。全く、俺は飛んだ道化を演じさせられたぜ。」

　地面に横たわっているウルゴラーの骸に眼をやり、左腕を庇うように右手を当てたヒューゴがぼやいた。

「ヒューゴのお陰で此奴の事前情報が手に入っていたからな。身体能力は凄かったが、武人としてはまだまだこれからと言ったところだった。結果を見届けに来たのか。」

「それも有るが、イザベラにハンベエを呼び戻して来るよう言われてな。」

「なるほど、そっちはどうなった？」

「ナーザレフはふん縛って、イザベラが催眠術を掛けた。色々喋らせてる。」

「追い掛けて行った奴の手下は。」

「俺が片付けた。」

「ふむ。ざっとそんなところか。」

　ハンベエは珍しくも無さそうに言って、顎を撫でた。　ナーザレフは白い靄に包まれた場所にいた。その靄の中で、彼は何かの声に導かれるように自分の過去に思いを馳せていた。

　十八年前、イーエデスはヨン・ピエトル寺院の僧侶であった。皆には『イーエデス神父』と呼ばれ、時の王妃レーナの信頼も厚かった。レーナはその子エレナに美しい容貌を授けただけあって、匂うような輝きを帯びている。

　今日はレーナの第二子エレナ一歳の誕生祝いだ。ゴロデリア王国では、王家の子供は一歳の時にヨン・ピエトル寺院で太陽神ラーの下で祝福を受けるしきたりがある。祭壇に赤子を捧げ王家に指名された神官がトコシエの幸せと安寧を祈願するのであった。

　イーエデスは王妃レーナの経営する孤児院についても度々相談を受け、その信頼はかなり深いものであり、今回のエレナの祈願役にも選ばれて当たっていた。

　しかし、このイーエデス、この時王妃レーナに対して邪（よこしま）な欲望を懐いていた。恋は思案の外とやら、イーエデスがレーナに懐いた恋心を邪と断定するのは行き過ぎかも知れないが、王妃であるから人妻である。いやしくも神官たる者が懐くべき感情では有るまいし、懐いたとしても心の奥に仕舞い込んで施錠しておくべきものであった。

　儀式の間は余人は遠ざけられ、赤子と神官の二人きりである。王妃レーナは祭壇のある建物の外で儀式が終わるのを待っていた。

　建物の扉が開かれ、赤子のエレナを抱いて現れたイーエデスは酷く蒼褪めた顔色をしていた。その表情を見て、王妃レーナも顔色を変えた。胸騒ぎを抑えている様子で、息が小刻みに震えていた。

「王妃様、言葉も憚られる事が出来（しゅったい）致しました。私がエレナ様の栄華長命を祈念していますと、俄に祭壇から黒い靄のようなものが現れ、忽ちエレナ様を包み込んで仕舞いました。私はそれを振り払おうと必死の祈願を行いました。やがて靄は消えましたが、このような徴が･･････。」

　とイーエデスはエレナの肌着をずらして、背中をレーナに見せ付けた。エレナの背中肩甲骨下の辺りに蒼い蝙蝠の形の痣が浮き出ていた。

「これは･･････このような物、エレナの身体には無かったはず。」

　王妃レーナは蒼白になって我が子をイーエデスから抱き取った。

「一体何が。」

　レーナはワナワナと震えながら、イーエデスを見詰める。

「何とも、申し上げにくい事で御座いますが･･････。」

　とイーエデスはうな垂れて言い淀んでいた。

　汚れの乙女、魔と交わりてその刻印を宿す。そは蝙蝠の徴（しるし）なり。娘の痣の形を見て、ゴロデリア王家に伝えられる伝承がレーナの脳裏を稲光のように貫いた。